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KINMAQブログ「未来を変えよう、理学療法士!」 BLOG

先輩・理学療法士は語る②/31歳の転職

この年収では、家族を幸せにできない。
この現場では、私が生きない。

那覇医院 院長 富山 慶

プロフィール
2019年31歳で入社、理学療法士資格保持者。沖縄出身 琉球リハビリテーション学院卒 勤務経験/かず整形外科クリニック

30歳前後の理学療法士の持つ悩みは重い。ダイレクトには収入の問題であり、その一方で病院という働く環境への不満と不安がある。そこに決着をつけた先輩の一人が富山だ。自分を生かし家族を幸せにするのだと、富山はついに決断する。

 

子どもが生まれた。年収が伸びない。いよいよ切実になって来た。

富山は、26歳で結婚。28歳で子どもが生まれ、出費もかさむようになった。その時、年収は400万円弱、奥さんの収入を入れて500万円台。給料の伸び悩みを切実に感じ始めていた。保険診療もどんどん下がっているし、このままだと10年後は……もう天井が見えてしまったのだった。
「何かしら動かないといけない、そう感じ始めていましたね。その頃、自費施術に興味が湧いてきて、実際にどういう技術が要るのか知りたくて、筋膜の勉強会に出たんです。めっちゃすごかった。これならやれるなって感動しました。それで、病院でこの手技をやってみたら、子どもからお年寄りまで幅広く効果も出て、めちゃくちゃすごいと納得。だから、いよいよ挑戦してみたいという思いが芽生えたんですね」。

 

10年後が見えない。自費施術への転職を決め、家族を全力で説得。

富山は改めて思う。きっかけは、確かに収入だったけれど、むしろ容易に想像できた10年後の自分自身だった。何一つ環境も変わらず、刺激もなく、同じことの繰り返し……そして、『めちゃくちゃ怖くなった』のだ。ならば、30歳、最後のチャレンジしかない。富山はこうして動き出した。
「その時の勉強会の人って、要は創業期の当社のスタッフだったんですよ。興味ない?と言われ、もちろん僕も力になりたいって言いました。もう、決めてましたね。さて、そこから奥さんの説得です。やっぱり、病院ほどの安定性はないでしょうから、自費施術でやっていく覚悟を決めた、生半可な気持ちじゃないって、技術のすごさや教育研修について一生懸命に説得しました。最後は、しぶしぶだけど了承してくれて、父母もOKだったし、家族の理解がなかったらきびしかったでしょうね」。

 

那覇院スタート。コロナ禍という特大のアゲンストを乗り越えて。

富山は導入研修を経て、九州ブロック初の院長として那覇院を開店した。場所や広告などプロモーション(販売促進)は一切を本社がバックアップして、問合せは当初80件/月に達し、富山はスタッフとともに新規顧客に懸命に対応した。
「3月は順調な滑り出しでした。しかしです。コロナが来てしまった。問合せは4月から3、40件と半数に落ち、一緒にスタートしたスタッフも退職してしまって、賃料40万円/月が大きくのしかかってきたんです。そこで、急きょ賃料1/3の小さなスペースを探し当て、移転して再スタートしたところ収支は戻りました。以来、コロナ禍からのゆっくりした回復の中で業績も戻ってきて、今では理学療法士資格保持者3名と受付スタッフ1名の4人体制までになりました」。

 

入試以来続く研修を支えに、2つ目の開院、病院との連携に挑戦。

このスタートからの3年間、決して楽ではなかったと富山は振り返る。だが、やはり技術と新規顧客への対応という充実した研修が、入社以来継続的に行われたことが本当に支えになった。そして、年収も今では約550万円に達したという。
「研修は、今でも那覇から千葉の柏へ2カ月に一度行っていますが、これが勝因になりましたね。ただ、私の場合は、何しろ会社自体が立上げ期でしたから、私も何もわからない、本社も正直何が正解かわからなくて、とにかくみんなで話し合っては、あれこれ試行錯誤しながら一つの形に作り上げていったんです。それが当社らしくて良かったんだと思いますね」。
富山は、自費施術を始めてみて、世の中にどれだけ困っている方が多いのか驚いたとも言う。そのためにも、沖縄の2つ目の開院を急ぎたいのだ。そしてさらに、当社初の病院との連携というチャレンジが、現実のものになろうとしているという。